高麗人参が日本で知られる

高麗人参は古くから朝鮮半島で大切に扱われてきました。
しかし、日本にも古くから存在することが知られています。
ではなぜ朝鮮半島の植物が、日本で広く知られるようになったのでしょうか。

それには歴史のお話が必要です。
古くは奈良の時代に遡ります。
奈良の時代、日本はすでに朝鮮半島との往来がありました。
古い時代、朝鮮半島は高句麗という国があり、中国ではこの国は高麗とも呼ばれていました。

高麗人参の名称は、国名からきているものなのです。
奈良の時代には貿易のような形でこの植物が送られていました。
天皇への献上品としてもしられ、文献に掲載も残っています。

その後、この植物は貴族や武士に愛され、時の将軍徳川吉宗の時に、「御種人参」として全国生産が奨励されます。
高麗人参は厳しい環境を好み、非常に生産が難しいので、国が各地へ種を渡すのは異例中の異例でした。
こうして江戸時代初期から中期以降、全国にこの植物の存在が広く流布するようになったのです。

現在もメインの生産地は朝鮮半島であることに変わりはないのですが、日本でも生産はずっと続けられています。
古代の来訪が今も、人々の健康を支える栽培として続いているのです。
歴史の深さが垣間見られるお話です。